11/2 最近の生活とこれから

すっかり秋らしくなってきた、もう秋を通り越して冬なんじゃないかとも思う。特に夜。

ここ数年季節の変わり目は去年のその季節にあったことを思い出して辛くなる。楽しいこともあったが思い出と今との断絶を感じて心が寒い。

でも、まあこんなもんだろと思って上手く生きられています。

 

近況として、京都大学の公共政策大学院に合格した。

本当は東京大学の大学院に行きたかったのだけれど、残念ながらそう上手くはいかなかった。でもまあぶっちゃけ同じようなもんだし折角まだ京都に居させてくれるというのだから存分に利用したい。

希望の進路のため(この大学院の時点でどんな進路かはお察しだろうが)更に邁進したい。

自分から見ても、多分他人から見ても自分の人生がエモすぎるのでこれからも乞うご期待、ということで。

 

日記(2017年8月10日)

台風はいつの間にか過ぎ去っていて、8月9日。郵便局員のチャイムで起きた。

寝起きだったので何の用事か分からなかったが1分後にそういえば再配達を頼んだのだったと思い出し、無事受け取ることができた。再々配達はするまい、という配達員の強い意志のお陰で受け取れた。

 

その後は勉強したり。ウダウダ言いながら。

FGOの水着イベが18時から(実際はメンテ延長のため20時30分から)だったので多少ワクワク。高校の友人とのFGO通話に混ざってちょっと話した。楽しい。

 

まあその後はまた勉強。行政法をやっているのだが、面倒な範囲をウダウダ言いながら越えたので、そこから先はスイスイ進んで楽しい。

 

そして朝。24時間営業のスーパーに行くために外に出たが、気持ちいい夏の朝を感じた。ちょっと目線を変えれば凄く爽快な気候で、楽しくなる。

そういえば毎年この時期は青森の実家に帰っていた気がする。

 

アニメをちょっと見てから寝よう。

日記(2017年8月8日)

起きたら台風の中にいた。

昨日から風が強く雨もパラパラと降っていたけれど、今日は何回も近くの町に避難勧告が出ていて、完全に台風日和だ。

 

最近は精神的にも身体的にも芳しくなく、なかなか行動ができない。

6日にはサークルの友人とビアガーデンに行ったが、彼らと話していると非常に安らぐので、ありがたい。

精神的には自分はかなり強くなった自負があるが、それと身体的な弱さが重なると大変に参る。何もできないときはアニメを見たり、それもできないとき(アニメを見る方は分かると思うがアニメを見るのは結構体力が必要だ)は動画サイトをうだうだ見たり、意味もなくスマホを弄ったりする。

関連して思ったが、人を励ましたり慰めたりするのはどうやるのが適切なんだろう。

僕は悩みは他人から言われて解決できるものではないし自分で納得していくものだと思う。他人ができるのは、他の下らない話をするとかしょうもない相槌で当人に考える気分を作って与えてやること、ぐらい。激励が自己満足になってはいけない。

 

それでも英語や国際法を少し勉強したし、まあいいかと自分をなだめる。目標は低く志は高く。でも他人からは下らなくて薄い人間に見られたい。

日記(2017年7月31日)

微妙に暑い夜に汗が滲む。

一つのテーマについて記事を書く趣旨のブログだったが、友人の影響や自分の考えの実践的な意味で日記も始めてみようと思う。単調な(つまらない訳ではない)日常なので毎日更新したりするつもりはない。

 

私は自分の日常を詳らかにするのは本来あまり好きではないし、(厨二病臭いが)なるべく謎めいた存在でありたいと思っていた。しかし、ここ数ヶ月の学びとして自分にはもっと堂々と表現したり、世間の目が届く所に自分を発信する必要があるなと感じた。

つまりアウトプットって大事だな、と。

なるべくエゴのない文章が書きたい。

 

今日は13時に起床して大学院の出願手続きを一通りこなした。

大学院は出願が鬼門、とよく聞くがまさにそうだと感じた。合計2時間程かけて汗だくになって帰宅。そこから家事をこなして歯医者に行ったあと、少し気楽に過ごす。軽くアニメを見たりゲームをしたりした。

やっと目下のタスクが終わって一安心。ここ数ヶ月中期的に精神的負荷の大きいタスクがぽんぽんと、中には夢に出てくるくらいストレスなものもあったので、それに比べれば大学の期末試験くらいどうということはない。そんな気持ちで国際法を勉強していた。

 

大体5時〜7時くらいに就寝して7時間程寝るという生活を繰り返している。夜型だし、このリズムは凄く捗る。この時間にtwitterにいる人に勝手に親近感を覚えたり。

6時間睡眠だと生産的なことをする分には足りないので今日は1時間昼寝(夜寝?)をした。凄く丁度いい。

 

10分かからないくらいで簡単に書けた。適当に、好きなときに書きたい。

 

『ラ・ラ・ランド』感想。

アカデミー賞は最多6部門を制したらしい。主演女優賞(エマ・ストーン)・監督賞・撮影賞・美術賞・作曲賞・歌曲賞。どれも妥当だし敢えて言えば作品賞を取っていないのも妥当かもしれない、と思う。(ノミネートの他の作品を鑑賞していないので絶対的な目線でしか見られないが)

 

観る際、「あまり期待し過ぎないように」と意識した。監督の前作『セッション』が余りに心に響いたからだ。セッションはラストシーンで視聴者にカタルシスを与える作品だ。恐らくラ・ラ・ランドはそういう類の作品ではないのだろうなあと考えていたため、どちらかと言えば終わり良ければ全て良し的な所のある自分はセッションを贔屓するのだろう、ということが分かっていた。だからこそ、別の物として観なければ、という意識を強く持っていた。

 

本作のテーマは夢・恋・音楽・・・「夢」が一番しっくりと来た。

夢には色々と意味がある。

・将来実現させたいと思っている「夢」

・あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像である「夢」。虚構だ。

・儚いこと、頼りないこと。(「夢」物語)

他にもあるかもしれないがこの作品にはどの「夢」も独自の解釈を持って取り込まれていた。

まず映画開始直後、渋滞でのミュージカルシーンで鑑賞者は映画という夢に入り込む。魔法にかけられると言ってもいいし、恋に落ちると言ってもいい(僕が単にロマンチックな発言をしたいのではなく、公式HPや予告にその表現がある)

ここで掛かるAnother Day of Sunという曲はいかにも始まりを感じさせる曲で、一種のパレードのような、行進曲のような歓迎の曲に聞こえた。世界観を象徴するお気に入りの曲だ。

ミュージカルはそのシーンによって説明責任の軽減や回避を可能にすると思う。勿論描き方にはよるが歌って踊れば曲が終わる頃には二人は恋に落ちているし、あまりキャラクターに立ち入らなくとも鑑賞者が心情の変化に納得できるという点でやはりこの表現方法は偉大だ。少なくとも曲の間は飽きないし。だがこの作品がミュージカルであることの一番の理由は夢であることを確認すること、である。

夢を追い求める二人の表現者が出会い、恋に落ちる。表現者としての夢を取るか、恋を取るか。話としては、よくある。『はじまりのうた』なんかもそうだ。

 

終盤の意味について。パンフレットにこんなことが書いてあった。

「本当に深い感情は時空も現実も物理法則も超える」。矛盾する事実が両立することもあり得る(ここは要約)

○セブとミアが袂を分かちセブが店を開きミアが他の家庭を持ったこと。これは(夢の中の)事実である。

○だがセブとミアがそもそも決裂することなく添い遂げたこと。これも(夢の中の)事実である。

→つまり最後のミュージカルシーンは夢ではあるがもしこんなルートがあれば・・・というifの夢ではなく他の世界線と同じ価値を持つまた別の夢だ、と解釈したい。映画『ラ・ラ・ランド』という夢に入り込んだ時点で鑑賞者はその夢の形を決定する自由が与えられていて、製作者は虚構における受取手の可能性や幸せを選択する権利を呈示しているのではないか。

矛盾するような別の可能性が同時に成り立っているとしても観る側はもし違う道を選んでいれば・・・というラブストーリーによくあるような儚さ、切なさを同時に感じることもできる。(書き方で誤解して欲しくないが勿論よくあることは悪いことではない。自分は非常にロマンチックで良いと思ったし、思う所があった。)

夢とは、理想とは何か、必ずしも表現者としての成功に限られないし、恋人や家族の愛を知ることとも限られない。幸せは自分の中にありこの映画はハッピーエンドにもバッドエンドにもすることが出来る。選ぶのは自分だ。当たり前のことを言ってしまったが、ここが中々難しいと思った。

最後にミアが店を出て行くことが夢の終わりを示しており、鑑賞者は現実に向き合う必要が出てくる。虚構vs現実という構造が垣間見える点にはシン・ゴジラを感じるし最近こういうの流行っている気がする。

ただこの映画は見終わって暫くしてからじんわりと幸福感を感じることができた。瞬間の煌めきというよりは後から回顧することが出来るという意味でまさに良い夢を見させてもらったと思う。

 

難点を挙げるとすれば、カタルシスが足りないと感じてしまう。

純粋にうお!!この映画すげえ!!と思えなかったのだ。排反の良さがあるとは言え、自分はどうしても監督が『セッション』のデイミアン・チャゼルだという意識が抜けなかった。映画の欠点ではなく見る側の問題かもしれない。

ミュージカルという形式がテンションの上がり下がりを繰り返す性質を持っているからかもしれない。

セッションはアトラクションそのもの。ラスト数秒までジェットコースターは高く高く昇り続け最後に急降下する。

ラ・ラ・ランドはテーマパークそのもの。アトラクションに乗ったり降りたりを繰り返すが依然としてテーマパークの中を堪能しているのには変わりはなく、園の外という現実に出てからふと思い出して幸せに浸れる、そんな映画だった。

両者は似たようで全く性格の異なるものであり、恐らく前者を期待してはその期待は空回る。

 

ただカメラワーク、演奏(元々ジャズ系の音楽が個人的に好きなので特に)、衣装などの美術的観点等色々あるがどれも大変良かった。

特に音の使い方なんかで言えば、単に演奏シーンだけではなく、細かなSEのリズム・タイミング・間が絶妙だった。流石、と言わざるを得ない。

衣装・色使いもとても考えられているのだなあ、と。(他のレビューブログを検索していただければ面白い話が出てくるので参考までに)

 

あとJ.K.シモンズが出演していることを知らなかったので出て来た時はたまげた。もしかしたら、なんてセッションとの繋がりを考えるのも楽しい。

とても好きだし、良い映画だった。

星野源という男。

普段仲良くしている人はお分かりだろうが、僕は星野源が好きだ。好きなんてもんじゃない。大好きだ。このブログのタイトルも彼の本からパクってきた。 

 

星野源は日本の俳優、シンガーソングライター、文筆家。埼玉県蕨市出生、川口市出身。(Wikipedia)身長は168cm、血液型はAB型の35歳である。今だと逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)というドラマで主演級の扱いを受けている。

僕が彼のことを初めて知ったのは去年の紅白歌合戦だ。壇上でおっさんが楽しそうに歌ってた。いい曲だった。

ふーん、と言ってとりあえずその曲が入ったアルバムをTSUTAYAで借りた。いいアルバムだった。過去のアルバムも全て借りてきた。全部いいアルバムだった。そんな感じで新譜が出れば買って聞き、本も書いてるっていうから買って読み、映画やドラマも出てるって言うから一部を観(見)た。

人柄を観察すればする程、好きなタイプの人間だと分かった。ドラマでは一丁前に正統派っぽい顔つき(流行りの言葉で言うと、face of 正統派)の俳優をしているが実際はかなりどうしようもない人間である。

人付き合いは苦手だし身体も心も弱い。特にお腹が弱い。あと九九の後半パッとできない。「老舗」も「鯖」も読めない。いつもどこか独りなきらいがある。多人数で道を歩けば一人だけ後ろにはみ出してしまうような人間である。大学受験に落ちて家を出た後、数年間アルバイトで生活していたらしい。ずっと他人に否定されてきたタイプ。あと変態でオタクだ。

 

まあとにかく、ジメジメした人間だ。でも彼は自分を持っていて、それを必死に表現しようとしている。そこがいい。なんていうか、憧れの存在なのだ。ここまで(事実とは言え)disっておいて何を言うかという感じだが。

自分も独りが嫌だと思いながらも一人が好きだし他人とは分かり合えないという鬱屈した感情を持ちながら暮らしている。小さい頃から病気がちで精神的にもどうしても強くなれない、それが肺気胸やらなんやらで表に出てしまう。自分が好きだが、同時に嫌いだ。昔のトラウマに囚われ、心のどこかで抜け出せていない。故に、いつも独りだ。

そんなジメジメした自分からすると、迷いながらも自分を伝えようと努力し生きていけている彼は非常に尊敬できる。あのクシャッとした笑顔や明るさはそれなりの想いや過去を秘めているのだな、と思ったりする。そんな人に惹かれる。

 

本人も語る通り、くも膜下出血で倒れる前と後では作る曲が違う。以前は彼自身のメッセージを伝えようとする曲作りだったが、最近は「SUN」や「恋」のように聞き手が受け止めて自分なりに消化できるような曲が中心になった。本人によれば、入院して散々辛い目にあったことから苦労はもういいや、明るく楽しく生きたいと思えるようになったそうである。同時にもっと人のことを知りたい、人の話を聞きたいと思うようになり、それが曲作りに影響してきたんだと思う。

(現にSUNの歌詞では「君の声を聞かせて」とこちらに語りかけるような表現がある)

彼自身成長していくことで僕も一緒に進んでいるような感覚を持てて、とても好きだ。彼の成長・変化はどこか穏やかで優しくて、こっちもふんわりと受け止められる、気がする。

弱かった人間は強いなあ、と思ったりする。

 

因みに僕も彼も前川みくちゃんが好きなのでいつか固い握手をしてみたい。

物について。

  Cobalt1207
3冊目! pic.twitter.com/x8z6EhvQVB
2016/11/29 17:32

 

 

手帳を買った。毎年同じシリーズを買っていて、もう3年目だ。最初は濃い青が素敵だったから買ったのだが翌年はターコイズ、その次は水色とどんどん薄くなってきているので次は白にでもなるのか。もうちょっとガラッと変わればいいのに。青が好きだからいいんだけど。

いつも使っている訳ではないけど、基本的に暇を良しとする生き方を目指す僕でも大学に入ってバイトをするようになったら必要になった。

今になって昔の予定を見返してみると結構面白い。あの頃はあれで忙しかったな、とかこんなこともあったな、とか。やっぱり毎年4月らへんは予定がたくさん入ってるもんだ。それに比べて2015年の9月には一ヶ月の予定にぽつんと「アメリカ」としか書かれていない。まあアメリカ行ったからなんだけど、夏休みだったし他に忘れちゃいけない予定はなかったのだろう。

こんな感じでこのシリーズの手帳にも愛着が湧いてきたし、これから来年も再来年もその次もこの手帳を集めていくのだ。そして10冊ぐらい溜まった所で並べて部屋でニヤニヤ眺める、そういうことに喜びを感じる。映画の半券も一枚一枚ノートに貼ってニヤニヤしているし、縁があったら切手収集とかも趣味にしていたに違いない。

 

それに近い意味では漫画なんかもこの巻だけ買う、みたいなのは有りえない。買うなら全部買う、買わないなら全部買わない。買っている漫画の中だとこち亀だけはその原則に反してしまっているのでいずれは全部買おうと思っている。好きなので持っている巻を売るという発想はない。

あ、荒川弘銀の匙は途中まで電子書籍で買ったんだった。個人的にはやっぱり本は蒐集の目的もあるし手触りがどうのこうのという理由で物理的に持っておきたい。データだと逆に失くすし。銀の匙は何処かに行ってしまって見つからない。

上記の例はこだわりと言える程主張の強い物ではないと思うけど、こだわった先に自分が見えてくる気がするのでどんどんこだわっていきたい。他人に迷惑かけない程度に。